【閲覧注意】ホラー。世界を震撼させた凶悪な殺人鬼7人。日本人も。Seven vicious murderers who shook the world Japanese murderers.

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#殺人犯#考察#凶悪#シリアルキラー#サイコパス
世界を震撼させた凶悪な殺人犯(シリアルキラー)7人ご紹介。
日本人の凶悪犯もいます。
日本で生活している皆さんも他人事ではないかもしれません。

0:00 オープニング
0:46 セオドア・ロバート・バンディ
2:13 ペドロ・アロンソ・ロペス
4:02 ブルーノ・ルトケ
5:25 アンドレイ・チカチーロ
6:55 モーゼス・シトレ
7:59 宮崎勤(みやざきつとむ)
9:24 植松聖(うえまつさとし)

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1.セオドア・ロバート・バンディ
バンディは若い女性を強姦、殺害するとともに、死体に対する凌辱も行っていました。1974年から1978年の間に36人を殺害した。しかし実際はもっと多いだろうと言われています。シリアルキラーの語源として有名である。
バンディはターゲットの女性に近づくときに、人目のある公共の場で怪我人や障害者を装おい、そして女性を人里離れた場所へと連れていくと、力で屈服させて強姦したのです。バンディは女性を殺害した現場に再び訪れて、屍姦(しかん)や遺体の損壊を行いました。その後、信じられないことにバンディは殺害した女性のうち12人の首を斬り落とし、しばらくの間自分のアパートでその首を記念に保管していました。常軌を逸した行為であることはお分かりいただけると思います。
 バンディは1989年にフロリダ州刑務所で電気椅子による死刑が執行されました。

2.ペドロ・アロンソ・ロペス
9~12歳の少女110人を殺害しました。ロペス自身は、さらに240人を殺したと主張しています。ギネスブックは、ロペスを「個人で最も多くの人間を殺した殺人者」と認定しましたが、のちに「殺人を競争の題材にするのか」との苦情を受けて、この項目は削除されました。
 少女たちに声をかけ、光り輝くものを与える約束をして誘い出し、郊外の森やホテルの一室で絞殺しました。ロペスは子供をその腕に抱いて警戒心を解き、そのあとに強姦し、その目をじっくりと眺めながら絞め殺しました。その死体は建築現場や森の奥深くに埋めました。少女ばかりを殺した理由については、「鶏肉を食べるようなもんさ。若鶏があるのに、なんでわざわざ古くなった鶏を食べるんだ?」と語っています。子供を殺すことと肉を食べることを同列に語れる恐ろしい話です。
 エクアドルで裁判にかけられたロペスは、1981年に16年の禁固刑となりました。エクアドルでは禁固刑が最高刑なのです。1994年にロペスは釈放されました。その後、インターポールから指名手配となっていますが、消息は不明です。

3.ドイツ ブルーノ・ルトケ
 ルトケは1928年から1943年までの15年間に少なくとも51人の女性を殺害し、遺体を屍姦(しかん)しました。彼は軽度の知的障害があり、幼少時から動物へ拷問・虐待を加えるような残虐な性格でした。女性を追い回して絞め殺すか刺し殺し、そしてその遺体を犯していました。ナチスの台頭など当時のドイツは政情不安にあり、ルトケの犯行は長期にわたり発覚を免れていました。逮捕されたルトケは85人の殺害を自供。その後、ルトケは起訴されず、親衛隊によりウィーンの「犯罪医学研究所」に送られ人体実験の実験台にされました。1944年に薬物投与により死亡しています。
 残虐非道な殺人犯の処遇として「死刑より人体実験にでも使って世の中の役に立てたほうが」というような意見があるかもしれません。ブルーノは実際に人体実験をされて死んだ連続殺人犯として有名です。
   
4.ソビエト連邦 アンドレイ・チカチーロ
 チカチーロは1978年から1990年にかけてソ連にて52人を殺害しました。主にバス停や鉄道駅にいる家出した子供や若い浮浪者に声をかけて、森の近くに誘い込んで殺しました。子供の犠牲者については男も女も関係なく、チカチーロは彼らに玩具や菓子を与えると約束することで誘惑しました。通常の性行為では満足な快感を得られなかったチカチーロは、息絶えた犠牲者の体を突き刺したり切り裂くことによって、性的興奮とオーガズムを得ることができたようです。
 1992年、チカチーロは52件の殺人罪で有罪判決を受け、死刑を宣告されました。チカチーロは「何の価値もない人間を掃除する」ことで社会に貢献したと主張し、判決を不服として上告。しかし1994年に銃殺刑となりました。
 当時ソビエト連邦は「連続殺人は資本主義の弊害であり、共産圏では発生し得ない」と主張していましたが、チカチーロというロシア史上最悪の殺人犯はソ連の主張を覆す存在となってしまい、共産主義などの政治的影響もあることで有名です。

5.南アフリカ モーゼス・シトレ
 モーゼスは1994年から1995年のおよそ1年間で、少なくとも38人を殺害しました。被害者のほとんどは女性で、強姦のしたのちに殺害をしています。彼は、虐待された子供のための慈善団体を運営しているように装い、求職に来た女性を強姦、絞殺を繰り返していました。犯行の一部は事件が起きた町のアルファベットをとって「ABC殺人事件」とも呼ばれています。モーゼスは犯行動機について「私は女性が大嫌いだ。私が彼女達にしたことは、汚らわしい彼女たちにとって非常に良いレッスンだったのだ。」と語っています。
 南アフリカ最悪の事件として有名。モーゼスは1997年裁判により懲役2410年を科せられてます。

6.日本 宮崎勤(みやざきつとむ)
 宮崎は1988年から1989年まで4人の幼女・女児を誘拐、殺害しました。「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」という名称で知られています。幼女を殺し遺体にわいせつな行為を行い、その様子をビデオ撮影するなどの行為を行っています。また、犯行声明を新聞社に送りつける、野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動をしたことから、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討されました。
 この事件をきっかけに日本では年端もいかない小児に性衝動を覚えるペドフィリア嗜好の存在が広く知られることとなりました。その結果、アニメ、漫画、TVなどのホラー表現、ポルノ表現が大きく規制されるきっかけともなりました。
 宮崎は1989年に逮捕されました。殺害した被害者や遺族に対しての思いのほどを問われ「特にない。いいことができてよかったと思う」と答えています。2008年に死刑が執行されました。

7.日本 植松聖(うえまつさとし)
 植松は2016年に知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせました。殺害人数19人は、当事、戦後の日本で発生した殺人事件としては最も多い、最悪の大量殺人事件でした。また、植松は犯行動機について「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」などの自説を展開し、世間に衝撃を与えました。
 植松は事件当日に警察署に出頭。「自分が殺したのは人間ではないから殺害行為の正当性を主張するつもりだ。個人的には『懲役20年程度の量刑が妥当だ』と考えている」と述べました。2020年に死刑判決が下っています。

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この動画について
URLhttps://www.youtube.com/watch?v=FeHUAqtkyII
動画IDFeHUAqtkyII
投稿者世界の不思議を考察TV(せかふしTV)
再生時間11:04

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