
叛通信Presents
<数息観瞑想 日誌>2025年度版(9)
~瞑想と般若心経の日々~
2025年3月分
2025-3-22(土)晴れ、朝の室温12度。少し寒い。
自宅瞑想、7:00-7:25、(椅子)端座位数息140回、般若心経1回、柔軟体操5分、ほぼサボる。メモ書き。
100回目までは、何とか、数を数えた。が、それ以降は、<ウトウト>している。再三再四、数を忘れ、適当なところから、数えなおす。ザイザル服用の影響だと思うが、倦怠感と眠気が、ひどい。気力がなえる。140回目あたりで、中断する。
<数息>に対する情熱だけでは、もはや、体調の悪さを、克服できない。飽きてきたのかもしれない。だが、<もう少しねばれ>という声が聞こえてくる。
2025-3-23(日)朝の室温19度。あたたかい。季節が移りかわっている。自宅瞑想、5:40-6:00、(椅子)端座位数息150回、般若心経1回、柔軟体操は、中止。微熱がある。37度。
昨晩、寝しなに、極端に咳き込んだ。就寝後も、断続的に咳が出て、よく眠れなかった。咳き込むと、胸が痛い!何度か経験したことのある痛みだ。気管支のあたりだと思う。
ふと、<コロナ>にかかったのかもしれない、と不安になる。人間とほとんど接触してないのだから、大丈夫だろう。とはいえ、熱が、37度あるのが、気になる。
100回目までは、深く大きく呼吸し、息の出入り音に注意を向けていた。しかし、100回目以降は、体が、ざわざわした感じで、集中できない。150回目で、中断した。今日は、風邪薬を飲んで静養しよう。
2025-3-24.25.26.27.28.29、コロナ感染により、自宅療養。
2025-3-30(日)朝の室温15度。やや肌寒い。
自宅瞑想、6:40-7:10、(椅子)端座位数息100回、般若心経2回、柔軟体操は中止、メモ書き。
久しぶりの、朝の<数息>だ。コロナに感染して、丸一週間、体調を崩していた。とくに、最初の三日間は、熱も38度以上あり、夜は、激しく咳き込んで、眠れず、つらかった。
四日目以降は、熱も多少下がり、楽になったが、こんどは、喉が腫れて、猛烈に痛い。激しく咳き込むこともあり、倦怠感もひどく、終日、ごろごろしていた。
昨日あたりから、やっと、物が食べられるようになり、人間らしい気持ちに戻った。まったく、恐れていたことが現実になり、この一週間、生きた心地がしなかった。
とはいえ、今朝は、<数息>をやろうという気力が、蘇ってきた。なんとか、通常の生活に戻れそうだ。
はじめから、<雑念>が優勢だ。とくに、人間関係での齟齬について、二、三人の顔が思い浮かんだ。親しい関係になると、そのうち、必ず確執が生まれ、結局は、疎遠になる。これは、相手の問題ではなく、自分の問題だろう。自分の中に、なにか、死角がある。まったく気づいていないことがあるようで、こわい!
終わりの心経では、かなり<むせた>。言葉を発すると、喉の奥で<ゴホゴホ>いって、言葉にならない。激しい咳で、気管支が傷ついたのだろう。これまでに何度か、経験したことがある症状だ。<ゴホゴホ><ゴホゴホ>、下手な役者の芝居みたいで、我ながら、おかしい。
2025-3-31(月)朝の室温15度。肌寒い。
自宅瞑想、6:30-6:55、(椅子)端座位数息120回、般若心経2回。柔軟体操は中止、メモ書き。
はじめの20回目くらいまでは、ちゃんと数を数えていた。そのあとは、朝方見た夢が気になり、頭の中で思い返していた。
タンスの中の、真新しいTシャツを選んでいる。黄色の、だぶっとしたシャツで、 似合っているか、鏡で確認している。どうやら、大学の授業へ行くようだ。
途中、黄色の鮮やかなTシャツを着ている夫婦が、道路にいる。ホームセンターへ寄る。組み立て式の平らな<台>を買う。この<台>の上で食事をするつもりらしい。
二階の食堂へ入る。少し広い席で、<台>を組み立てようとする。しかし、ちょっと目を離した間に、店のおばさんが、<台>をどこかへ移動してしまう。見当たらない。おばさんに腹を立てている。
と、場面が変わる。食堂が、薄暗い船内の待合室になる。大勢の人が、そこかしこにたむろしている。<台>を組み立てる場所を確保する。しかし、ちょっと目を離している間に、また場所を取られてしまう。しかたないので、場所を移動する。部品が、箱のなかから、バラバラっと落ちる。組み立てが大変になるなと思う。
そばに、大きな、戦艦のプラモデルを組み立てている奴がいる。部品を見ていてくれ、と二言、三言、話をして、残りの部品を取りに行く。戻って来ると、横柄な男が、大きなバッグを二個置いて、場所を占領している。また、組み立て場所がなくなってしまった。
夢の意味はわからない。ただ、終始、他人に邪魔されて、自分の思うとおりにできない。イライラして、腹を立てている。焦燥感があった。
50回目あたりからは、<雑念>が出てきた。だが、内容が、よく思い出せない。<ウトウト>していたようでもあり、何回か、数を数えなおした。
100回目をすぎたあたりで、<数息>が大儀になった。続ける気力がない。<ねばれない>感じだ。中断した。
そうそう、心経の音読も、小さな声で読んだ。少し声を出すと<ゴホゴホ>言って、言葉にならない。苦しい。コロナの後遺症だろう。ひどいもんだ!
4月分
2025-4-1(火)朝から小雨。朝の室温12度、寒い。
自宅瞑想、6:40-7:10、(椅子)端座位数息180回、般若心経2回、メモ書き。
40回目くらいまでは、数を数えることに、注意を向けていた。そのあとは、<雑念>の中を漂っていた。おもには、日常生活関連のことで、<数息>に、やや懐疑的になっている自分について考えた。
<数息>に対する熱量が減ってきたことは、疑う余地がない。それと、<記述>したことを<文章動画>にして、ユーチューブで公表することに、徒労感を感じている。<意味がない>。そんな気が、しないでもない。べつに、やめてもいいけどね。しかし、ま、惰性だが、もう少し続けてみよう。
150回目あたりで、<数息>に飽きてきた。気力をだして、少し粘ったものの、180回目で、衝動的にやめてしまった。
そうそう、朝の柔軟体操を中止することにした。なんとなく、億劫だ。体が、嫌がっている感じだ。それと、心経は、小さな有声音で、呪文のように唱えた。<ゴホゴホ>むせ込むことはなかった。もう少しで、コロナも完治しそうだ。
2025-4-2(水)朝から小雨。朝の室温12度。寒い。
自宅瞑想、6:20-6:50、(椅子)端座位数息150回、般若心経2回。メモ書き。
50回目くらいまでは、数を数えることに注意を向けていた。それ以降は、<雑念>が優勢になった。おもに、日常生活関連のことで、今後の<数息観瞑想日誌>について、想いが浮かんできた。
まず、<数息観瞑想日誌>という表題を変更しよう。長すぎるし、なんのことか、よくわからない。かわりに、月並みで、そのものずばりだが、<瞑想日記>にすることにした。<瞑想日記2025年度版>~心の平安を求めて~。やや、こっぱずかしいが、副題も変えることにした。この方が、事実に近い。
表題の変更は、ま、気まぐれではあるが、<瞑想>の内実の変化でもある。当初は、<瞑想行為>そのものに、力点を置いていた。が、最近は、<瞑想>のおかげで、自分の心の中が、少し見えてきた。心底求めているのは<心の平安>だ。<瞑想>は、その方便であり、具現された形である、と。
形式にとらわれずに、<瞑想>を生活の一部に、いや、人生の<よすが>とすることで、<心の平安>が得られるのではないか、と願っているのだ。
あと、朝方見た夢が気になっていた。一つは、付き合いのあった劇団のTSという女優が出てきた夢だ。彼女とは、多少気持ちが通い合った時もあったので、懐かしい感じだ。夢の中でも、食べ物を、食べさせ合ったりして、仲がいい。
場面が変わり、彼女の、ぼろい軽自動車で、ドライブをしている。狭い道に迷い込んで、車を壁にこすったりして、冷や冷やしている。と、道の裏側が開ける。巨大な寺院になっている。参拝客が大勢いる。お祭りをやっているようでもある。集団で、仏像の製作などもしている。壮大な感じに、感心している。
もう一つは、由緒ある、大きな寺院の奥まった部屋だ。高僧の講義を受けようとしている。と、場所が変わり、図書館のようなところだ。今度は、女性の教授から、講義を受けようとしている。そばに、講義の予定表をきちんと作っているむさい男がいる。少し酒臭い。悪い奴ではなさそうなので、予定表を見せてもらう。学食弁当の配布場所なども書いてある。これは便利だと思う。
夢の意味は、二つとも、よくわからない。が、不安感、焦燥感、喪失感などはなく、気持ちが、比較的平静で、楽しい感じだった。
150回目あたりで、数を数え続ける気力がなえた。中断して、心経を読んだ。まだ、多少、むせるので、小さな声で、抑揚をつけて、呪文のように読んだ。鼻歌気分だね。
2025-4-3(木)朝の室温12度。30分ほどファンヒーターをつける。
自宅瞑想、7:10-7:50、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回、メモ書き。
始めから終わりまで、数を数えることに注意を向け続けた。とはいえ、ときどき、<雑念>や<想念>が、優勢になった瞬間もあった。
<雑念>は、おもには、人間関係関連のことだ。以前、画像を投稿していたサイトで、そこの<ボス>的存在の奴と、二、三回、メールでやり合った。鼻につく、嫌な奴だった。ほかにも、二、三人、程度の低い輩がいて、誹謗中傷まがいの発言に、嫌な思いをさせられた。
ああいった輩は、実人生では、いったいどんな感じの人間なのだろう?まがりなりにも、写真撮影を趣味にしているのだから、まるっきりの馬鹿でもあるまい。だが、性格が悪すぎる。ちょっと、想像がつかない。
後半は<瞑想>についての<想念>がわいてきた。いま、この瞬間、目をつぶり、端座位で数を数えているが、この状態は、果たして<幸せな状態>なのだろうか?心が平安になっているのだろうか?
しいて、そう思えば、そう思えないこともない。いや、ちがうと思えば、ちがうような気もする。ただ、事実としては、事実ということがあるとすればだが、苦痛ではない。怖くもない。不安でもない。イライラしてもいない。かといって、特別、楽しいわけでもない。が、平静ではある。
<自己催眠>という言葉が思い浮かんだ。<幸せ>だと思えば、<幸せ>だし、<不幸>だと思えば、<不幸>だ。<心>に負荷をかけて、その形を捏造するのは、いかがなものかと思う。いわゆる、<思い込み>だ。
自分にとって、人生の蹉跌の大部分は、こうした<思い込み>によるものだ。もう少し冷静に、賢く、知的に生きられたような気もする。
温浴施設、なぐわしピコア、13:30-14:20。
広々した湯舟。縁に座って、断続的に数を数える。あたたかい、汗が、うっすら出てきて、気持ちがいい。これも、<幸せ>の形なのかもしれない。
2025-4-4(金)朝の室温、12度。4月に入ったのに、寒い。
自宅瞑想、6:10-6:50、(椅子)端座位数息200回、般若心経2回。メモ書き。
はじめから終わりまで、数を数え続けていたと思う。途中、何回か、<雑念>が優勢な時もあった。
<雑念>は、おもに、<数息観瞑想日誌>改め、<瞑想日記>に関することだ。これは、久しぶりに、前向きな<雑念>だ。文章動画の内容を簡素化して、負担を少なくしよう、などと、あれやこれや思いめぐらした。
以下、下記のブログに続く
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| この動画について | |
|---|---|
| URL | https://www.youtube.com/watch?v=k5R_t5n-DfU |
| 動画ID | k5R_t5n-DfU |
| 投稿者 | Toshikazu Sekine |
| 再生時間 | 26:43 |


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