小岩裕一牧師礼拝(伝道礼拝)2013/01/27「偏屈者の回心」

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創世記32章22~32節 「偏屈者の回心」
中心聖句:「その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」(28)。
  1,偏屈者ヤコブ
ヤコブとは「押し退ける者」という意味です。「名は体を表す」という諺のように、彼の性格と人生を表しています。自分の力で、押し切って生きていく男です。うそも平気です。人から愛される人物ではなく、偏屈者の代表です。
双子の兄の足のかかとを掴んで誕生しました(創世記25章)。兄の長子の特権と、神の祝福を無理やり奪い取り、兄の怒りを買い、故郷と家族を離れ、伯父の元に身を寄せます。そこでもうまく立ち回り財産を築くことができました。神を信じる家庭に生まれ育ちましたが、母の溺愛で育ち、屈折した家庭でした。彼自身も二人の妻を持ちます。
  2,人生の転機
 人生の転機は突然であり、それは神の介入です。彼は、神に導かれて、故郷に帰ることを決意しました(創世記31:3)。しかし、残される人生の課題は兄との和解です。彼は万策尽きて一人になった時、一人の人と「組み打ち」をします。「神との対決」とも言えます。それは、赤裸々な神への祈りです。彼は必死になって神に祝福を求めます。自分の力で押し退けて生きてきましたが、もう限界です。
 神から名前を聞かれ、「ヤコブ」 と答えます。それは、自分自身の不正、うそ、苦悩の告白です。彼自身が神に対しても偏屈者であることを認めることです。そして、自分自身を神に明け渡すことになります。
3,神による回心
 神によって、「イスラエル」(神の皇太子)と名が変えられます。創造者の御手に委ね、
神によって造りかえられる経験です。
 神によって、「もものつがい」がはずされます。彼は、自分の力で押し退けて生きていくことはできなくなりました。その後、一足一足、神により頼んで歩む人生になりました。
 神を見て、神と共に歩む人生です。人生の目的は、神と共に歩み、神の祝福に与ることです。彼の人生の苦悩は、彼の偏屈が原因です。その偏屈者が、神によって変えられ、兄の前にも遜り、兄と和解することになります(創世記33章)。考えられない彼の変化です。それは、神による回心の結果です。

この動画について
URL https://www.youtube.com/watch?v=Sty7RxtAsOs
動画ID Sty7RxtAsOs
投稿者 小岩裕一
再生時間 45:11

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